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健康で文化的な最低限度の生活とは何か-結核療養患者による命がけの朝日訴訟-

(執筆者)日本医師会総合政策研究機構 主任研究員 王子野麻代

(法律監修)銀座中央総合法律事務所 弁護士 高山烈


2020年幕開けとともに新型コロナウイルス感染症が世界中の脅威となっているが、一昔前20世紀における感染症の脅威は「結核」であった。我が国では、1934年から1950年にかけて「結核」は死因1位の病(注1)であり、「国民病」として人々に恐れられていた。長らく有効な治療薬がなく、戦前戦後の物資不足により十分な栄養をつけることができなかったことも、より一層結核の治癒を難しくさせる要因となっていた。

1956年8月、結核を患い生活保護を受けていた朝日茂さんは、生活扶助費を打ち切られ、そのうえ医療費の一部を負担するようにとの保護変更決定を受けた。翌57年、朝日さんは生活保護法の規定する生活保護基準は「健康で文化的な最低限度の生活水準」を維持するにたりない違法のものであると主張し、厚生大臣(当時)を相手に裁判を起こした。著名な朝日訴訟である。この裁判は、当時経済的に生活に苦しむ多くの国民にとって、他人事ではないという思いを芽生えさせ、もはや朝日茂と厚生大臣との争いではなく、国民と国家との闘いであり、人間らしく生きる権利を求めた「人間裁判」として社会的な注目を集めたという。

以下、朝日さんの手記(注2)と裁判所の判決をもとに記す。


結核罹患から訴訟提起まで

  • 1940年(昭和15年)、真っ赤な鮮血を吐く。当時は結核に対するストレプトマイシンなどの薬があるわけではなく、自然療法という大気、安静、栄養の療法しかなかった。在宅療養を経て、1942年(昭和17年)4月に県立早島光風園(のちに日本医療団となり、その後国立岡山療養所と合併)に入院。生活保護を受けながら療養生活を送る。病院給食は、朝はたくあん2切れに塩こんぶ少し、昼はひじきか芋の葉であり、僚友は栄養失調と戦争による精神的な苦悩により、病状を悪化させてバタバタと亡くなった。
  • 1955年(昭和30年)の夏、朝日さんは大喀血して、最重症になり、それ以後は毎日のように血痰と小喀血を繰り返し、身体を自由に動かすこともできず、食欲も衰える日々を過ごしていた。この頃、津山市福祉事務所が朝日さんの生き別れた兄を見つけ出し、兄弟には民法上扶養義務があることを理由に、朝日さんに仕送りをすることを迫った。兄は妻子を抱えて生活が苦しく余裕もない中ではあったが、たった一人の弟が重症であるのを放っておくこともできないと言い、月1,500円の仕送りをすることを承諾したのであった。
  • 同年7月、津山市社会福祉事務所長は、35年間も朝日さんと離れていた実兄に対し、同年8月以降毎月1,500円を朝日さんに仕送りするよう命じた。
  • 1956年(昭和31年)7月18日、津山市福祉事務所長は仕送りを収入と認定し、同年8月以降は生活扶助600円を打ち切り、医療費一部900円を負担するようにと保護変更決定をした。結局のところ朝日さんの手元には、仕送り額1,500円から医療費一部負担金900円を控除された600円しか残らない。保護変更決定の通知を受け取った朝日さんは、当時の心境を次のように記している。「せっかく兄が重症の弟に栄養品の一つでも食べさせようと思い、苦しい生活の中から無理して送金してくれる1,500円を、600円だけしか本人に渡さず、900円を国庫がとりあげるとは血も涙もないむごい仕打ちではないかと怒らずにはいられなかった。」そしていかに役所仕事とはいえ、あまりにも杓子定規で非人間的なやり方に憤慨したと綴っている。
  • 同年8月6日、朝日さんは岡山県知事に保護変更決定の不服申し立てをしたが、却下された。これを受けて、同年12月3日、厚生大臣に再審査請求を行ったが、これも却下された。
  • 1957年(昭和32年)、朝日さんは厚生大臣の却下裁決の取消を求めて、東京地裁に厚生大臣を被告とする訴訟を提起した。

1審勝訴、浅沼判決

1960年(昭和35年)10月、朝日さんの訴えは認められて1審勝訴となった。浅沼裁判長の名をとって浅沼判決と呼ばれている。

裁判では、人間が最低限生存するために必要な額は当時で1人4,500円、最低生活費に必要な額は1人7千円から8千円という数値が証人によって示され、月600円という著しい低額さが浮き彫りとなった。また、医師の国立岡山療養所長は、朝日さんの入所以来の病状を詳しく述べ、結核療養所の実態、職員の苦労、重症者の日々の生活、生活保護のみじめな実態、日本の社会保障の暗い谷間を照らし出そうとするかのごとく、結核との闘いに一生をかける人間医師の心情があふれる証言をしたという。

判決は、「生活保護法は憲法第二五条の規定する理念に基いて国に国民の最低生活を具体的に保障する法律上の義務を負わしめたものであ」り、「同法によつて保障される最低限度の生活は健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。」

「「健康で文化的な生活水準」は、単なる生存の水準でなく、複雑な生活の基準であ」り、「相対的に決定されるものではあるが、…一義的には決せられない性質のものではなく、…客観的、一義的に存在し、科学的、合理的に算定可能のものと考えられる。したがつてそれは年々の国家の予算額や政治的努力の如何によつて左右されるべきものでないことは当然である。」

「一カ月当り金六〇〇円では…、原告ら要保護患者の健康で文化的な生活の最低限度を維持するに足る費用を著しく下廻り、要保護者の年令別、性別、その他保護の種類等に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものとはとうていいえない」から、厚生大臣が決定した保護基準は「生活保護法第三条、第五条、第八条第二項に違背するものというべく、右基準に基いてなされた本件保護変更決定は違法である」とした。

これに対し、旧厚生省は控訴したものの、浅沼判決の実施を求める声を無視できず、制度の全面改正を図り、食費を除く生活扶助基準の大幅な引き上げを行った。この保護基準の引き上げは保護基準に連動していた各種の最低基準を引き上げることとなった。


1審を覆した控訴審と最高裁

控訴審は1審判決を覆し、逆転敗訴とした。最高裁(注3)は、上告後に朝日さんが亡くなったことを理由として訴訟終了の判決を下しつつ、判決理由中において「なお、念のために、」と前置きして以下のとおり述べており、原判決(控訴審)の判断を維持したところが特徴的である。

生存権を規定する憲法25条1項は、「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したにとどまり、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない」とした上で、次のように述べている。「健康で文化的な最低限度の生活なるものは、抽象的な相対的概念であり、その具体的内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上するのはもとより、多数の不確定的要素を綜合考量してはじめて決定できるもの」である。その判断は、「厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、…当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあつても、直ちに違法の問題を生ずることはない。ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によつて与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない。」(傍線筆者)


おわりに

「健康で文化的な最低限度の生活」の判断について、1審の浅沼判決は司法審査の対象と捉えて旧厚生大臣の保護基準を違法としたのに対し、最高裁は旧厚生大臣の裁量権の逸脱濫用がない限り司法審査の対象にはならないとして行政裁量に委ねた。

それから半世紀経った今、朝日さんを襲った「結核」は、世界をみれば依然として1,040万人が感染し、170万人が死亡する(注4)脅威であるが、日本では戦後これを克服するとともに、国民皆保険制度の下で様々な社会保障制度の充実化が図られてきた。例えば、朝日さんは医療費の一部負担を迫られたが、現在、生活保護受給者は原則として医療費の自己負担はない。また、今日われわれの脅威となっている新型コロナウイルス感染症についてみても、感染して入院を余儀なくされた方々の医療費や行政検査の費用はすべて公費で賄われており、戦後に多くの方が結核で命を落としていた頃とは大きく様相は異なり、進歩改善が窺える。その結果、国民皆保険制度は世界保健機関(WHO)に高く評価され、日本は世界有数の長寿国となった。

そのことを考えれば、朝日訴訟が今日の社会保障制度に与えた影響は大きいように思う。

一方で、新型コロナウイルス感染症の検査や治療に対応する医療を確保するために、急性期医療の維持が危ぶまれる事態が起きた。例えばイタリアでは、新型コロナウイルス感染症流行により急性期医療が破たんし、イタリア政府は感染が集中する同国北部の医療現場を支えるため、300人の医師を緊急募集したところ、早くもその24時間後には募集人数を大幅に超える7,923人の医師が支援に名乗りを上げたという話もあった(注5)。急性期医療が破たんし、その皺寄せを受けたのは高齢者であった。イタリアの死亡者数の約96%の方は持病を有する方で、死亡者の平均年齢は約80歳の高齢者であった(注6)。中でも介護施設の入居者が多くを占めていた(注6)。我が国では現時点ではイタリアほどの医療崩壊には至っていないものの、今後第3波や第4波といったさらなる感染拡大に見舞われれば、高齢化社会の我が国もイタリアと同じ境遇に追い込まれるリスクを潜在的に有しているといえる。

憲法25条1項は国民の生存権を保障し、2項は国が社会保障や公衆衛生の向上及び増進につとめなければならない旨を規定している。そして、生存権の保障が行政裁量に委ねられている下において、国民の生命と健康を守る担い手であり、患者にもっとも身近な立場である医療者が関わるなかで、「急性期医療」と「コロナ医療」を共に維持できる医療提供体制の再構築が急務である。


[脚注]

  • 注1)常石敬一(2011)「結核と日本人」岩波書店
  • 注2)「人間裁判 朝日茂の手記」大月書店
  • 注3)最判昭和42年5月24日。朝日さんは1964年(昭和39年)2月14日に亡くなり、その後養子が訴訟を引き継いだ。最高裁は、生活保護法に基づく「保護受給権は被保護者自身の最低限度の生活を維持するために当該個人に与えられた一身専属の権利」として訴訟を終了した。本稿で示した最高裁の判決は「念のため」と示されたものである。
  • 注4)厚生労働省検疫所FORTH「結核について(ファクトシート)」(2016年)。
  • 注5)朝日新聞『3700人感染「今すぐ人材を」■保護具が不足、再利用 イタリア医療現場の叫び』2020年3月24日
  • 注6)Bloomberg「イタリア、新型コロナ死者の96%に基礎疾患-保健当局調査」2020年5月27日
(公開日 : 2020年10月30日)