中村十念の考えるヒント十ヵ条
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[MG10]No.36 日本の「医療不信」を考えるヒント十ヶ条
(執筆者)俯瞰マネジメント研究会 | 中村十念
1.人間の身体は一般に考えらえている以上に複雑であり、遺伝子の解像度もまだ低い。神経や化学物質等の相互作用も奥が深い。
現代医療の歴史はまだほんの100年である。1918年にスペイン風邪のパンデミックが起こったが、ほとんどお手上げ状態であった。その時の知見が今回のコロナ流行に役立てられることもなかった。つまり医療は病気を後追いしているのが現実である。
果たして、これまで医療の不信が語られなかった時代があったのだろうか。否である。
2.この古くて新しい医療不信の話題を精神科医の和田秀樹さんが著書「80歳の壁」(幻冬舎)で書き、それを東京新聞が特報で取り上げた。見解の違いがあるのは当然であるが、別な見方もあり得ることも紹介しておきたい。
3.医療不信の第一は、日本の医師は患者に過剰介入しているというものである。受診回数、薬の量、検査、そのいずれもが過剰であるという指摘である。この指摘で残念なのは、何と比較してというエビデンスがないことである。
日本の医療はフリーアクセスが原則であり、受診権は患者の側にある。だから医師を過剰に利用している人もいるし、そうでない人もいる。薬や検査の過剰を背景にして世界的な大製薬メーカーや、検査委託会社あるいは医療機器メーカーがあっても良いはずだが、それほどのものはない。
過剰かどうかについては、個々にはいろいろな現象が起こっていることは想像できるが、全体としては結果として今の水準である、としか言えない。
4.次に医療業界は上意下達構造であり、閉鎖的であるという批判である。この構造については2つに分けて考える必要がある。ひとつは医療教育、もうひとつは医療機関である。医療教育も他の専門職教育と同じで、今のところ上意下達方式が効率的である。上意下達方式は閉鎖性と親和性が高いのは事実で、日本の医師の国際共同論文数のランキングは相当低い。
医師以外の多くのひとが協力して仕事をする医療機関となると事情は違ってくる。上意下達式で振舞っている医師は良い評判は得られないのは当たり前である。
病院は危険と隣り合わせである。公園のような訳にはいかず、ある程度閉鎖的であることはやむを得ない。
5.3つ目の指摘は、日本の医師は専門医だらけで総合診療医が少ない。「今日の治療指針」をアンチョコにして診療をしている、ということである。
なるほど「今日の治療指針」には、編者によって治療の誘導が行われている等の欠点もある。しかし全体としては治療方針の標準と考えて良い。すべての分野に精通している医師は珍しいので、知らないところは取り敢えず治療方針に頼る。医師と患者と治療指針の交信で専門医が総合医化していっている現実はあり、悪いことではない。
なお、総合医と言っても、広く厚く通じた医師はまず存在しない。全部の楽器に精通した楽団員がいないのと同じである。
専門医と総合医は“狭く厚い”か“広く薄い”かの選択の問題である。今は“狭く厚い”を選択している。
また、患者への態度や説明スキルは、人格と係る個人の問題であり、いかんともしがたい。
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