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予防接種による健康被害はどのように救済されるのか? 医師に法的責任はあるか?
―大月市インフルエンザ予防接種事件を例に―

(執筆者)日本医師会総合政策研究機構 主任研究員 王子野麻代

(法律監修)銀座中央総合法律事務所 弁護士 高山烈


昨今、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が現実味を帯びてきて、ワクチン接種に対する社会的な関心が高まってきている。確かにワクチンには一般的に発症や重症化予防といった効果がある。しかしそれと同時に、どのようなワクチンであっても接種した方々のうち一定の割合で健康被害が生じてしまうという現実がある。

これまでにもワクチン接種により健康被害を受けた患者やその遺族が、国や自治体、医師等に対して損害賠償を求めて、大規模な集団訴訟に発展したケースも少なくない。特に、昭和40年代ごろ予防接種禍訴訟は社会問題と化し、武見太郎日本医師会長(当時)(注1)は政界に対して、予防接種によって健康被害を受けた患者を救済する制度の創設を働きかけ、昭和51年予防接種法改正において健康被害救済制度が明記され結実に至った。

本稿で紹介する「大月市インフルエンザワクチン接種訴訟」(注2)は、このような健康被害救済制度ができる前の昭和44年に起きた事件である。インフルエンザワクチンを接種して死亡した患者Aの遺族は、Aの脳性麻痺の疾患及び死亡は本件接種が原因であるとして、ワクチンを接種した医師、大月市、国に対して損害賠償を求めた。当時は健康被害救済制度がなかったがために、全国各地でインフルエンザ予防接種による副作用や合併症と思われる重篤な後遺症を抱える被害者が訴訟を起こし、その救済が司法に期待されていた(注3)。

ワクチン接種による被害者の救済は、誰がどのような形で責任を負うべきか。大月市インフルエンザワクチン接種訴訟において当該医師の代理人を務めた畔柳達雄弁護士(日本医師会参与)の話を伺った。


1.事案の概要

  • インフルエンザワクチン予防接種は、予防接種法に基づくものではなく、国が行政指導として都道府県を通じて指示をして市町村が実施する接種勧奨であった。本件において、国Y1は予防接種法に基づく予防接種の事務を行い、大月市Y2は右事務の委任を受けこれを実施する者であり、医師Y3は本件予防接種を行った医師である。
  • 昭和44年12月5日、生後8カ月体重9kg位の健康体であったAは、山梨県大月市内の小学校において医師Y3からインフルエンザの予防接種を受けた。同日夜から、Aは若干の発熱を生じ、泣くばかりで食物等をほとんど受けつけない状態となった。
  • 同月7日の朝、突然けいれんを起こしたため、医師Y3の診察を受けたところ、摂氏38.8度の発熱が見られ咽頭付近に多少の炎症を起こしていたため感冒と診断された。しかし同日午後に至り、再び厳しいけいれんの発作を起こしたので、同日夕刻再度医師Y3の診察を受けたところ、摂氏39度の高熱があり、消化不良便を排泄した。
  • 翌8日になっても発作が静まらないため、かかりつけの医師Bの診断(注4)を受けたところ、発熱やけいれん発作はインフルエンザワクチンの毒性による脳炎症状の疑いがあるとされるに至った。
  • 同月9日、医師Bの指示により大月市民病院に入院した。入院中にもけいれん状態をたびたび起こし、一時は高熱を発して危篤状態にもなったが、その後症状が多少おちつき好転した。
  • 同月15日、検査のため東京医科大学附属病院に入院して急性脳炎と診断された。
  • 同月27日には一応急性期を過ぎ、病状の進展が考えられなくなったので退院したものの、前記の通りの脳性麻痺の後遺症状が生じて回復の見込みのない状態となった。
  • 昭和51年2月26日、Aは死亡した。
  • Aの両親Xは、Aの脳性麻痺の疾患及び死亡は本件接種が原因であるとして、接種者である医師Y3、実施主体である大月市Y2、行政指導を行った国Y1に対して損害賠償を求めた(注5)。

2.ワクチンを接種した医師の過失(注3

患者遺族Xは、ワクチンを接種した医師Y3に対して民法709条に基づく損害賠償請求をした。畔柳弁護士は武見太郎日医会長(注1)からの指示で、手塚一夫弁護士とともに医師Y3の代理人を務めることになった。患児側の証人尋問が行われる直前のことだったという。

患児側の主張は、インフルエンザの予防接種にあたっては発育段階に応じた注射液ワクチンの安全な規定量として、1才未満は0.1cc、1才以上6才未満は0.2ccと定められていたところ、生後8カ月の患児Aは成長が良く体が大きかったので、医師Y3は1才以上と誤認して倍量を注射したのではないかというものであった。

畔柳弁護士らは、医師Y3の過失を否定した。仮に医師Y3に注射量を誤った過失があったと仮定しても軽過失であって重過失ではないから、責任は大月市にあり、医師に責任はないと主張した。

裁判所は医師Y3の過失を認めた(注6)ものの、畔柳弁護士らの主張が好機となり医師Y3に対する請求は棄却され、医師勝訴となった。ただ、医師Y3としては、医師の過失が認定されたことは承服しかねるものであったが、勝訴したために控訴して争うこともできなかった。

もし医師Y3に過失がないと認定したならば、大月市Y2の国賠法上の責任は成立せず、患者は救済されないことになる。患者救済のために医師の過失を無理に認定する手法が一応妥当性のある結果をもたらすものとしても、そのような手法は不適切ではないかと畔柳弁護士は指摘する。


3.ワクチンに欠陥はないと認定した裁判所(注3

国側か裁判所からの要請であったかは定かではないが、接種したインフルエンザワクチンに瑕疵や欠陥はないということを証明するために、ワクチンの製造責任者が証言台にたった。ワクチンの製造責任者は、“ワクチンは安全なもので、問題となったような副作用や合併症は起きない”と証言して、裁判所はこれを認めた。

畔柳弁護士は次のように指摘する。「当時の、おそらく今でも、先進諸国の研究者はもちろん政府/為政者も、ワクチン自体が重篤な副作用や合併症を起こすことを承認しており、そのことを前提に国/製造者が責任を負う制度設計をしている筈です。しかし、当時の日本では、ワクチン開発に国が直接関与していることから、ワクチン自体に全く瑕疵がなく、用法・用量を守れば、安全なものだと主張し、ワクチン開発責任者の大学教授にその旨証言させ、裁判所はそれをそのまま受け入れます。その結果、被害者救済のため残された道は、医師が用法容量を間違えたと認定するしかなく、裁判所はこの道を選んだ訳です。」


4.市の責任を認め、国の責任を否定した裁判所

国家賠償法1条1項は、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」旨を定めている。

裁判所は、本件予防接種の実施主体は大月市Y2であること、ワクチンを接種した医師Y3は市から委託を受けた公務員であり、その医師Y3には過失があったことを認定して、大月市Y2に対する国賠法上の責任を認めた(注7)。一方、国については実施主体でないことなどを理由に、裁判所は国Y1の責任を否定した(注8)。


5.おわりに ―新型コロナウイルス感染症ワクチン接種にあたって―

新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が英国や米国等で徐々に始まっている。我が国においても接種が本格化すると、健康被害が発生し、その救済が俎上にあがることだろう。ワクチンを接種した場合、被接種者中に一定割合で副作用や合併症が発生する可能性をゼロにはできず、現に新型コロナウイルス感染症のワクチン接種後にアナフィラキシーショックが発生した例が既に明らかになっている。

畔柳弁護士は、健康被害の原因は、ワクチン自体にあるのか、それとも受ける人と薬との相性によるものかはグレー領域の問題であり、どちらとも考えられるにもかかわらず、多くの訴訟(注9)が医師の過失を問い、それを肯定する形に収斂し、ワクチンそれ自体に必然的に伴う副作用や合併症があることの検証が十分なされないままに過ぎていることを問題視していた。ワクチン接種は社会防衛を目的とするものであるため、それによる被害者の救済は、国や自治体が正面に出て全面的な責任を負うべきであり、ワクチンを接種した医師に重大な過失がない限り、国や自治体(行政)はこれらの関係者に負担を求めることは許されないと指摘する。

確かに、国はこれまでワクチン接種による健康被害救済制度の創設とその充実化を図り、今回の新型コロナウイルス感染症については本年12月2日に予防接種法を改正して新型コロナウイルス感染症ワクチンを臨時接種の特例と位置づけ、全額国庫負担とし、製造販売業者等の損失を国が補償することが契約により可能とするなど、国が責任を負う姿勢が窺える(改正予防接種法の概要2020年11月号掲載)。このような現行の救済制度が一時的なものではなく、手厚くかつ確実な補償が継続される制度設計になっているといえるか、十分に検証する必要がある。


[脚注]

  • 注1)第11代日本医師会長 武見太郎(昭和32年~昭和57年)
  • 注2)東京地判昭和52年1月31日.
  • 注3)畔柳達雄弁護士インタビュー(2020年12月20日)
  • 注4)昭和44年12月8日に、医師Bが患児Aの発熱やけいれん発作はインフルエンザワクチンの毒性による脳炎症状の疑いがあると診断したという医師Bの証言は、後に偽証だったことが明らかにされた(畔柳達雄弁護士より)。
  • 注5)ワクチンを接種した医師Y3に対しては民法709条、大月市Y2と国Y1に対しては国賠法1条1項または民法715条1項に基づく損害賠償請求。
  • 注6)裁判所は、規定量を超えて注射した場合にはなんらかの副作用を生ずる危険が増大するものと予想されること、本件接種後のAの脳炎症状が予防接種以外の原因に起因するものとは認め難いこと、本件接種当時Aには特異体質とか感冒にかかっていたとか通常の規定量の接種によって重い副反応が生ずるような特別の身体状況にはなかったこと、更には本件において上記接種に用いられたワクチンの品質が不良であったことを認め得るべき証拠もないこと等を考慮し、医師Y3は被接種者であるAの年令を確認して0.1ccのワクチンを接種すべき注意義務を怠り、Aの年令を1才以上と誤認して0.2ccのワクチンを接種したものと推認することができるとした。
  • 注7)裁判所は、本件予防接種は大月市Y2が実施主体となり、その固有の事務として、特別職の地方公務員たる医師Y3をして行わしめたものであり、医師Y3には接種に際して過失があったから、大月市Y2は国家賠償法1条1項により、本件事故による損害を賠償すべき責任があるとした。
  • 注8)裁判所は、本件予防接種は予防接種法に基づくものではなく、厚生省衛生局長の行政指導による勧奨接種であり、その実施主体は国Y1ではなく大月市Y2であること、医師Y3は大月市Y2の委嘱を受けた特別職職員として本件接種を担当したものであることを理由に、医師Y3の接種行為は国の公権力の行使に当る公務員としての職務行為に該当するということはできないから、国Y1は医師Y3の行為に因って生じた損害を賠償する責任を負わないとした。
  • 注9)最判昭和51年9月30日は担当医師の予見可能性を推定することにより過失を推定し、最判平成3年4月19日もこれを踏襲し、予防接種による健康被害への救済を図った。
(公開日 : 2020年12月25日)
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