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[事例研究]ハンセン病家族訴訟
(執筆者)日本医師会総合政策研究機構 主任研究員 王子野麻代 / 日本医師会常任理事 石川広己
(法律監修)銀座中央総合法律事務所 弁護士 高山烈
2019年6月、ハンセン病患者家族の人権侵害に対する国の責任を認める判決が示された(熊本地裁 令和元年6月28日判決)。これまでハンセン病患者に対しては一定の救済策が講じられてきたところであるが、その家族は対象外であった。同判決は、患者家族への人権侵害を認めた点で画期的である。政府はこれを受け入れて控訴しないことを表明し、内閣総理大臣による謝罪、ハンセン病家族補償法の成立等により患者家族への救済策が実現し、歴史的な人権問題は一つ大きな節目を迎えることとなった。
ハンセン病とは、抗酸菌の一種であるらい菌によって引き起こされる慢性の細菌感染症である。らい菌の毒力は極めて弱く、人の体内にらい菌が侵入し感染しても発病することは極めてまれであるが、隔離政策等が始まった明治40年当初はそのことが医学的に明らかになっていなかった。その後、時代とともに医学的知見は変化し、感染力が非常に低いことが国際的な見解となり、治療薬の開発も相まって、昭和35年には隔離政策等には合理的根拠はなくなっていた(注1)。それにもかかわらず、十分な疾病の知識等を国民に衆知広報することは行われなかった。
我が国ではその後も平成8年のらい予防法廃止まで隔離政策等は続き、ハンセン病患者のみならず、家族もまた偏見差別の対象となり被害を受け続けた。“ハンセン病がうつる”という誤解による学校でのいじめ、中には学校に通えなくなって今でも読み書きが十分にできないという方もいる。家族の入所歴が判明したことで配偶者から差別され離婚を余儀なくされた方、肉親の入所により幼少のころから愛情を受けることなく育ったために人格形成を阻害された方など、その被害は就学就労、婚姻、近隣交友関係など社会生活全般に及び、いずれも“ハンセン病患者の家族だから”という理由であった。差別を受けていない患者家族であっても、ハンセン病患者家族であることが周囲に知られることに対する恐怖感や秘密を抱え続けることに対する心理的負担を抱え、秘密に対する後ろめたさを感じ罪悪感を抱く方もいた。ハンセン病患者家族であることを隠して生活せざるを得ないがために、人生における選択肢が狭められるなど様々な生活上の不利益は大きい。将来を悲観して心中する家族もあったほどである。
本訴訟において、患者家族らは、国はハンセン病患者家族の人権を侵害し同家族に偏見差別等の被害を与え続けていることを少なくとも認識しえたにもかかわらず、平成8年の法廃止までそのまま放置し、法廃止後は偏見差別の除去や家族関係回復等の義務を尽くさせず、これら作為義務違反は国賠法上の違法行為であると訴えた。これにより、憲法13条に基づく社会内において平穏に生活する権利を侵害され、社会内で偏見差別を受ける地位に立たされ家族関係の形成を阻害され被害を受け続けたとして国の責任を問うた。本判決は約270頁にわたる重厚なものであり、本稿では裁判所の判断の一部を紹介する。
1.裁判所の判断
以下、傍線は筆者によるもの。
(1)厚生大臣及び厚生労働大臣の作為義務と違法性
ハンセン病を含む衛生行政は、厚生省(厚生労働省)の所掌事務である。その長である厚生大臣は、昭和35年以降(注2)、ハンセン病隔離政策等の廃止義務、さらには偏見差別を除去する義務の一内容として「不当、違法なハンセン病隔離政策等を遂行したことでハンセン病患者家族に対する偏見差別を生じさせたことを明らかにした上での謝罪とそのことの周知、…ハンセン病に関する正しい知識の普及のため相当な措置を取る義務」を負う。
裁判所は、昭和35年から平成8年に廃止法成立に向けた諸手続を取るまでの間、厚生大臣が「ハンセン病隔離政策等の廃止やハンセン病隔離政策等の不当性、昭和35年以降(注2)の違法性を明らかにすることなく、むしろ…厚生大臣がハンセン病隔離政策等の必要性を肯定し続け、…正しい知識の普及を行わず上記措置を取らなかった」ことから、「職務上通常尽くすべき注意義務を尽くさなかった」として、裁判所は厚生大臣の公権力の行使たる職務行為(不作為)に国賠法上の違法性を認めた。
(2)法務大臣の作為義務と違法性
人権啓発は、法務省の所掌事務である。裁判所は、「ハンセン病患者家族に生じている就学拒否、いじめ、就労拒否、結婚差別等の差別が正当化することのできない不当かつ違法な差別であることを国民らに周知させ、偏見差別を廃止するよう働きかける人権啓発活動が必要不可欠である」という考えを示した。そして、「ハンセン病患者家族に重大な差別被害が生じ、かかる差別被害の要因として被告のハンセン病隔離政策の遂行があることからすれば、前記の厚生大臣,厚生労働大臣による正しい知識の普及啓発活動等では不十分」であり、人権啓発を所掌事務とする法務省の長である法務大臣は、平成8年以降平成13年末まで、「職務上通常尽くすべき義務として、偏見差別除去義務の一内容である上記の人権啓発活動を実施するための相当な措置を行う義務を負う」。
裁判所は、「法務省を含む被告の行政機関…が実施した施策には、各住戸や各職場等への働きかけがなく、活動として不十分であるし、ハンセン病患者家族の偏見差別の除去の効果も十分でないため、法務大臣が前記の人権啓発活動を実施するための相当な措置を行ったとは認められず、法務大臣は,職務上通常尽くすべき義務を怠ったといわざるを得ない」として、国賠法上の違法性を認めた。
(3)文部大臣及び文部科学大臣の作為義務と違法性
文部大臣(文部科学大臣)は、学校教育における人権教育の扱いを定める重要な事務を担う。裁判所は、「偏見差別除去にとって教育は重要であり,教育の場で偏見に基づかない正確な知識に基づいた指導がなされなければ,社会から偏見差別を除去することは困難」という考えを示した。
文部大臣(文部科学大臣)は、「職務上通常尽くすべき義務として、平成8年以降、小学校、中学校及び高等学校の保健、社会科及び人権教育などの科目で、ハンセン病、その患者及び家族に関する授業を行い、正しい知識を教育するとともにハンセン病患者家族に対する偏見差別の是正を含む人権啓発教育が実施されるよう教育委員会や学校に指導するなどの適切な措置を行う義務を負う」。
裁判所は、「平成8年以降平成13年末まで、…ハンセン病に関する教育を担当しうるすべての普通教育を担当する教員に対し、ハンセン病や…患者家族について誤った教育を行わないよう適切な指導をし、普通教育を実施する学校教育において、すべての児童生徒に対し、その成長過程と理解度に応じた、ハンセン病についての正しい知識を教育するとともに…患者家族に対する偏見差別の是正を含む人権啓発教育が実施されるよう適切な措置を行う義務を怠った」として、国賠法上の違法性を認めた。
(4)国会議員の立法不作為の違法性
国会議員が平成8年まで新法の隔離規定を廃止しなかった立法不作為についても、裁判所は「国賠法1条1項の規定の適用上違法の評価を受け」るとした。
2.おわりに
本件は、ハンセン病患者家族の人権侵害に対する国の責任を認めた画期的な判決として注目された。これまでハンセン病患者に対しては一定の救済策が講じられてきたところであるが、その家族は対象外であった。本件を受けて成立した家族補償法をはじめとする救済策の意義は大きい。各省庁はホームページにおいて、ハンセン病に関する正しい知識の普及に努めている。ハンセン病にかかわる人々の災禍を繰り返してはいけない。そして、日本の国全体の教訓とするため、感染症法の前文を引用して、本稿の締めくくりとする。
○政府広報オンライン「HIV・ハンセン病に対する偏見・差別をなくそう」
○文部科学省「「HIV感染者・ハンセン病患者等」に関する参考資料」
感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法) |
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前文 「人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言えるものである。 医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。 一方、我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。 このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。 ここに、このような視点に立って、これまでの感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。」 |
(注1)昭和35年発行の「WHO第2回らい専門委員会報告書」には、(1)従来のハンセン病対策が患者隔離に偏っていたため、療養所の運営、経営に終始していたものを廃し、一般保健医療活動の中でハンセン病対策を行うこと、(2)ハンセン病を特別な疾病として扱わないこと、(3)ハンセン病療養所はらい反応期にある患者や専門的治療を要する者、理学療法や矯正手術の必要な後遺症患者等の治療のため、患者が一時入所する場であり、入所は短期間とし、可及的速やかに退所し、外来治療の場に移すこと、(4)家庭において小児に感染のおそれのある重症な特別なケースは治療するために一時施設に入所させることがあるが、この場合も、軽快後は菌陰性を待つことなく、可及的速やかに外来治療の場に移すこと、療養所入所患者は最小限度に止め、らいの治療は外来治療所で実施するのを原則とすることなどが提唱された。同委員会は「こうした原則に適合しない特別の法制度は廃止されるべきである」という見解を示した。
(注2)沖縄は昭和47年以降。