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改正感染症法案における罰則をめぐる議論と最終形
(執筆者)日本医師会総合政策研究機構 主任研究員 王子野麻代
(法律監修)銀座中央総合法律事務所 弁護士 高山烈
新型コロナウイルス感染症に対する緊急事態宣言下のなか、国会では新型インフルエンザ対策特別措置法・感染症法・検疫法の各々改正法案が2月3日に成立し、13日から施行されている。ここに至るまでの過程において、特に入院や疫学調査を拒否した者に刑罰を科す改正感染症法案については、医学会をはじめ各方面で物議を醸し、最終的に刑罰から行政罰へと変更され、国会ではその修正法案が成立する運びとなった。
その経緯を振り返りつつ、改正感染症法を記す。
1.当初、政府の改正感染症法案
1月22日、政府は入院措置に反して逃げ出した者等に対して「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」を、積極的疫学調査については正当な理由なく、調査の拒否や虚偽の回答をした場合は「50万円以下の罰金」を盛り込んだ改正感染症法案を閣議決定した。
(1) 入院拒否等に対する罰則(注1)
新型コロナウイルス感染症の医療提供体制は、65歳以上の高齢者など重症化リスクの高い者については「入院勧告」を、軽症者等については「宿泊療養・自宅療養」を実施する仕組みであるところ、「宿泊療養・自宅療養」は法的に位置づけられたものではなかった。そのため、軽症者等が自治体の「宿泊療養・自宅療養」の要請に応じない場合があることが問題視され、他方で重症者等については「入院勧告」に従わないときに入院措置が講じられるが、その患者が入院中に医療機関から逃げ出す事態が発生していた。
そこで、入院勧告を含めた実効性確保の必要性から、宿泊療養・自宅療養を法律上明確にするとともに、これに従わなかった場合は入院勧告、入院措置、罰則という重症者等と同様の段階的な経路を辿る仕組みとし、罰則については入院措置に反して逃げ出した者等に対して「1年以下の懲役または100万円以下の罰金」を新たに設ける考えが示された。
すなわち、重症か軽症かによって入院勧告・宿泊療養・自宅療養といった異なる措置が講じられるが、いずれの場合であっても、これに従わなかった場合には、しかるべき段階を経て、最終的に罰則の対象となりうる(図1)。
図1 感染症法上の入院措置・宿泊療養・自宅療養の実効性担保について
出典 第51回厚生科学審議会感染症部会(令和3年1月15日開催)参考資料 |
(2) 積極的疫学調査の拒否等に対する罰則
積極的疫学調査とは、感染症拡大防止のために、主に保健所が患者への聞き取り等を行い、感染源の推定や濃厚接触者の把握等を行うものである。調査対象者には質問や調査に協力する努力義務が課されるにとどまるため、これを拒否し円滑かつ確実な調査ができない事例が生じていた。そこで、積極的疫学調査の実効性を高めるため、同じく罰則を設けるというものであった。
政府の改正感染症法案では、患者本人に対する積極的疫学調査について正当な理由なく、調査の拒否や虚偽の回答をした場合は「50万円以下の罰金」とする考えが示されていた。ただ、罰則の対象範囲は、感染症拡大防止を確実に行うために必要最小限の範囲および対象の明確化の観点から、積極的疫学調査対象者のうち入院措置の対象者に限る。
2.改正感染症法案をめぐる議論
入院拒否等に対する刑罰を盛り込んだ政府の改正感染症法案をめぐっては、賛否両論、関係各所において物議を醸した。
(1) 罰則に前向きな全国知事会と経団連
例えば、全国知事会は緊急提言(注2)なかで、「感染拡大を防止するためには、保健所による積極的疫学調査や健康観察、入院勧告の遵守義務やこれらに対する罰則…に関する感染症法の改正を行うこと」を挙げ、政府に対し罰則の導入を求めていた。
また、日本経済団体連合会(注3)は、積極的疫学調査について「実効性確保のために罰則規定等を検討すること自体は賛同」しつつ、「患者の負担にも配慮し、無理なく対象者に納得感のある調査をしていただきたい。」との考えを示した。
(2) 慎重さを求める日本医学会連合と全国保健所長会
一方、日本医学会連合(注4)は、感染症法等の改正に関する緊急声明(注5)を発表し、感染症の制御は国民の理解と協力によるべきであり、感染者の入院強制等に対して刑罰ひいては罰則を設けないよう求めた。日本医学会連合は、感染症法は、「かつて結核・ハンセン病では患者・感染者の強制収容が法的になされ、蔓延防止の名目のもと、科学的根拠が乏しいにもかかわらず、著しい人権侵害が行われきた」反省を受けて成立したものであること等から感染者とその関係者の人権に最大限の配慮を行う必要があるとしている。
入院拒否については、「入院措置により阻害される社会的役割(たとえば就労や家庭役割の喪失)、周囲からの偏見・差別」など入院を拒否する感染者には拒否せざるを得ない何らかの理由があることや、現に新型コロナウイルス感染症の患者・感染者、医療従事者への偏見・差別があることを挙げ、「これらの状況を抑止する対策を伴わずに、感染者個人に責任を負わせることは、倫理的に受け入れがたい」とした。
そして、罰則を伴う強制は、「国民に恐怖や不安・差別を惹起することにもつながり、感染症対策をはじめとするすべての公衆衛生施策において不可欠な、国民の主体的で積極的な参加と協力を得ることを著しく妨げる恐れ」があること、「刑事罰・罰則が科されることになると、それを恐れるあまり、検査を受けない、あるいは検査結果を隠蔽する可能性」があること、その「結果、感染の抑止が困難になること」が想定されるとし、入院等の実効性確保という目的達成のための手段として罰則を設けることは、むしろ実効性を損なう逆効果ではないかと指摘した。
また、全国保健所長会(注6)においても、感染症の拡大防止の効果に繋がるよう慎重な検討を求める傾向があった。感染症法における罰則規定については、「保健所の感染症対策の実効性の確保は、法の理念に沿うよう、当事者である感染者をはじめとする市民の理解、協力を得ながら対応していくことが基本であるため、十分な検討が必要」であること、「保健所は住民に寄り添い、住民の健康と命を守る使命をもって業務を行っているが、もし罰則を振りかざした脅しを行うことにより住民の私権を制限することになればアンビバレンスと言わざるを得ず、職員の気概も失われ、住民からの信頼関係を築くことは困難になり、住民目線の支援に支障をきたす恐れがある」こと、「悪質で感染拡大に係るような実害が及ぶ行為においては、感染症法を用いるのではなく、公務執行妨害や傷害罪という既存の別の法律で対応すべきではないか。」といった意見があった。
3.改正感染症法の最終形(注7・注8・注9)
入院拒否等に対する刑罰を盛り込んだ政府の改正感染症法案は、その後、与野党協議を経て行政罰へと修正され、2月3日に成立、13日から施行されるに至った。
改正感染症法 | |
第80条「…入院の措置により入院した者がその入院の期間…中に逃げたとき又は…入院の措置を実施される者…が正当な理由がなくその入院すべき期間の始期までに入院しなかったときは、50万円以下の過料に処する。」 | |
第81条「第15条第8項の規定…による命令を受けた者が、…職員の質問に対して正当な理由がなく答弁をせず、若しくは虚偽の答弁をし、又は正当な理由がなくこれらの規定による当該職員の調査…を拒み、妨げ若しくは忌避したときは、30万円以下の過料に処する。」 |
※第15条第8項は積極的疫学調査の規定である。
4.おわりに
入院拒否等に対する刑罰を盛り込んだ政府の改正感染症法案とこれをめぐる議論を振り返りつつ、2月3日に成立した改正感染症法を紹介した。その過程において、入院勧告等の権限をもつ都道府県知事で構成される全国知事会、経団連は罰則導入に賛同する前向きな考えを示したのに対し、現場で感染者等と直接的な関わりをもつ保健所や医学・医療に携わる医学会の立場からは慎重な考えが示された(注10)。その結果、入院拒否等に対する罰則は導入されたものの、その内容は刑罰(懲役・罰金)から行政罰(過料)へと修正された。
確かに、感染症法のなかには刑罰を科すものもあるが(図2)、刑罰と行政罰ではその手続きや社会生活における影響は大きく異なる。例えば、「罰金以上の刑に処せられた」場合、医師を志す者にとっては医師免許の取得に関わり(医師法4条3号)、医師免許をもつ者にとっては戒告・医業停止や免許取消しに関わるなど(同法7条1項)、資格が求められる医療界にとって前科がつくことがその後の社会生活にも影響する一例といえる。
図2 感染症法の主な罰則
出典 第51回厚生科学審議会感染症部会(令和3年1月15日開催)参考資料 |
感染症法7条 | |
第4条 次の各号のいずれかに該当するものには、免許を与えないことがある。 | |
一~二 | 略 |
三 | 罰金以上の刑に処せられた者 |
四 | 前号に該当する者を除くほか、医事に関し犯罪又は不正の行為のあつた者 |
第7条1項 医師が第4条各号のいずれかに該当し、又は医師としての品位を損するような行為のあつたときは、厚生労働大臣は、次に掲げる処分をすることができる。 | |
一 | 戒告 |
二 | 三年以内の医業の停止 |
三 | 免許の取消し |
今般、政府が改正感染症法案において入院や疫学調査の拒否等に対して罰則を設けた趣旨はこれらの措置の実効性を高めるためである。これに対し、実際にこれらを担当する保健所や医学医療関係者といった現場の担い手は、罰則を設けることが入院等の実効性確保に資するのか疑念を抱き慎重論を主張していることは看過できない。今後の運用において、罰則規定の存在が患者等に与える影響や、実際に入院等の実効性を高めることになったのか、そして実際どの程度罰則が適用されたかなど、事後的な客観的検証が必要と思われる。
[脚注]
- (注1)厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策における感染症法・検疫法の見直しについて(案)」第51回厚生科学審議会感染症部会(2021年1月15日開催)資料1.
- (注2)全国知事会新型コロナウイルス緊急対策本部「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言を受けた緊急提言」(2021年1月9日).
- (注3)一般社団法人日本経済団体連合会「新型コロナウイルス感染症対策における感染症法・検疫法の見直しに関する御意見」第51回厚生科学審議会感染症部会(2021年1月15日開催)資料.
- (注4)日本医学会連合は、「医学に関する科学及び技術の研究促進を図り、医学研究者の行動規範を守ることによって、わが国の医学及び医療の水準の向上に寄与すること」(定款)を目的とした、日本の医学界を代表する学術的な全国組織の連合体で、臨床部門(96学会)、社会部門(19学会)、基礎部門(14学会)の計129学会からなり、各学会に所属する会員の総数は約100万人(2017.7現在)。
- (注5)一般社団法人日本医学会連合「感染症法等の改正に関する緊急声明」(2021年1月14日).
- (注6)全国保健所長会「感染症法改正(案)についての意見」(2021年1月27日).
- (注7)感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成10年法律第114号)の一部改正(2021年法律第5号).
- (注8)厚生労働省健康局長「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律等の改正について(新型インフルエンザ等対策特別措置法等の一部を改正する法律関係)」健発0203第2号(2021年2月3日).
- (注9)厚生労働省健康局結核感染症課「新型インフルエンザ等対策特別措置法等の一部を改正する法律」の施行に伴う罰則に係る事務取扱いについて(感染症法関係)」事務連絡(2021年2月10日).
- (注10)日本弁護士連合会は、2021年1月22日に発表した「感染症法・特措法の改正法案に反対する会長声明」のなかで次のように述べ、政府の改正感染症法及び特措法の改正法案は基本的人権を軽視するものであると指摘し、抜本的な見直しを求めていた。「そもそも、感染症法は、「過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」、〈略〉などとした「前文」を設けて法の趣旨を宣言し、過去の反省等に基づき、伝染病予防法を廃止して制定された法律である。新型コロナウイルス感染症は、その感染力の強さゆえ、誰もが罹患する可能性がある疾病である。感染者は決して責められるべきではなく、その実情を無視して、安易に刑罰をもって義務を課そうとする今回の改正案は、かかる感染症法の目的・制定経緯を無視し、感染者の基本的人権を軽視するものに他ならない。」